BLOT

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かみにうかがってこれ

書こうと心に決めていたのにこの体たらく。

まあいい。あまり根を詰めても詰めなくても同じなら思い悩まないのが一番だ。

 

GAFA」「究極の文字を求めて」を読んでる。

GAFAはこれからの素晴らしい未来みたいな本かと勝手に思って読み始めたけれど、現在はまさに「1984オーウェルみたいな話で、読むごとにぞっとする。でもそのぞっが楽しくてどんどん読めてしまう。

kindleで読んでるんだけどAmazonに監視されながら読む本としては最高(最悪?)だと思った。ということをネットに書くのが最悪なんだろう。

究極の文字のほうは電車で読んでいて笑ってしまう良い本。インド棒の効用に目からうろこが落ちる思い。文字が強そうとかかわいいとかこの感じ方はマルマルとキキという言葉の響きがあらわす形は世界共通と同じように、世界共通で武器になりそうであるし、Cawaii!のであろう。

文字フェチ垂涎というような言葉を見て、いうなれば、今の私は本フェチか、と思ったが本には性的なものは感じないなあと思い神にお伺いをたてた(GAFA的引用)フェチズムは経済学では物質崇拝のことらしい。経済学的には本フェチで正しい。でも他の検索結果は性的見解のことばかりだったので正しくは~なんてどうでもよくて大多数の人が本フェチと聞いて思いつくこの人本にフェチズム感じるヤバい人なんだあ、のほうに気を向けた方がいい。「経済学的にはこうなんだよ?」とかめっちゃうざいし。それならヤバいやつなんだあの方がキャラが立っていいのではないだろうか。

なにがさいしょにあるのか

同調圧力にはたぶん屈している。
でもこれは幸せなことなのだと思った。

暑い暑いとは思うのだけれど辛いとか嫌だとは思わなくなった。暑いのが楽しい。汗をかくのが楽しい。と思えるように最近なった。

金枝篇と併行で「宇宙が始まる前には何があったのか?」を読んでいる。神は居らず、神が宇宙の美しさを作ったわけではない、という自然の成り立ちへの崇拝はもはや神を崇拝してるのと同じ事なんじゃないのかと思うところまで。
先まで読むと違いに気付けるかもしれない。
一神教八百万の神と、考え方感じかたは色々あるんだと感じる。

ねみのしさい

フレーザーの金枝篇を読み始めた。

学生時代に一度チャレンジしたのだけれど、読むにあたっての解説を読まずフレーザーから始めてしまったので、フレーザーの上からの目線にびっくりしてしまい置いたまま10年とちょっと経ってしまった。呪術は未開だ、みたいなことでんんん?とか思っていた。
ちゃんと解説を読むと、100年前は学者は目隠しされているような守られた世界で暮らしていて、これでもかなり優しく呪術に公平に向かい合っていると書いてあった。
そうだ昔の論述なのだ。その時の価値観が今の価値観で測れるなんてつまらない。違う世界が見たくて本を開くのだ。今なら上から目線も斜め、中間くらいの目線だとわくわくして読めると思う。
価値観や思考が自分の考えとは全く違うものに出会うとわくわくする。

私は積ん読王なので併読している本がものすごく、ものすごくある。終わらないのが良いので金枝篇もこのまま読んだり読まなかったりで最後までは到達できないのかもなあと感じる。

明日からまた仕事仕事の日が始まる。
同調圧力に気を付けて生きたい。

はじまり

ショックなことがあった

 

土曜に上陸した珍しい方向からの台風とともに起こった出来事として残しておきたいと思った。ノートに書いておこうかと思ったがブログの形をとることにした。

いま、ブログ。誰にも伝えずこの広大なネットの漂流物として肩に力を入れずのんびり、こころにうつりゆくよしなきことを、綴ろうと思う。

 

ショックなことはまだ呑み込めておらず書き込めない。

腹に落ちる。

この言葉を考えた人は思考や感情は腹にあるということを知っていたのか。人間は脳で考えるというより腸や胃の状態で行動が変わる、ようなことを何かで読んだ気がする。

クーラーにあたりすぎてお腹が痛いことが腑に落ちない第一の理由かもしれない。